【やばいぞ日本】第1部 見えない敵(7)「世界のメディアを虜に」
「グッチ・ガールの新たな人生」という見出しに、美女とトラのツーショット写真が踊った。2006年7月30日付の英大衆日曜紙メール・オン・サンデーだ。
絶滅の危機に瀕(ひん)する華南トラに対する世界初の保護組織「華南トラ救済基金」代表者、ロンドン在住華僑、全莉(ぜんり)さん(45)の活動が好意的に報道されていた。彼女については、02年から今まで延べ約600の国内外のメディアが報じている。
伊有名ブランド・グッチで特許事業の責任者を務めた7カ国語を操るビジネスウーマンは今、トラ保護に人生をかけるNPO(民間非営利団体)代表だ。それだけで興味はそそられるが、北京に一時帰国した際に実際に会ってみるとメディアが夢中になるのがわかる。
虎柄のパーカー、アフリカの民族工芸風ネックレスという、さりげなく個性的で洗練されたファッション。荒唐無稽(むけい)に思えた「動物園生まれの華南トラを野生化させる」という計画も彼女の快活で自信にあふれた声で聞くと、壮大なロマンに思えてくる。
中国南部原産の野生華南トラは生存数30頭を切っている。そこで動物園生まれの子供のトラをアフリカの自然の中に放ち、狩りの仕方などを仕込んで、野生種の絶滅を先延ばしにしようという試みだ。それに資金と人が続々と集まっている。
北京の軍人家庭に生まれ、北京大学在学中にベルギー留学生と結婚。ベルギーに移住するも離婚、その後、米ペンシルベニア大ウォートンスクールでMBAを取得。ベネトン、グッチなどで築いた社交界人脈と交渉力が彼女の強みだ。
後に夫となる米国人投資銀行家による400万ドル(約4億8000万円)の援助で、南アフリカに330平方キロメートルの土地を買った。
映画スターのジャッキー・チェンや英ロックバンド、デュラン・デュランのニック・ローズ、世界的な著名指揮者、クリストフ・エッシェンバッハ氏らが次々と賛同。香港、英国政府、米内務省国立公園局も彼女の活動を支持している。
中国政府は02年、全面的なバックアップを宣言し、上海動物園の華南トラの子4頭の出国を快諾した。密猟や生態系破壊のイメージがつきまとう中国はチベットカモシカの保護などにそれなりに力を入れているが、海外メディアが好意的には取りあげることは少ない。
ところが全さんの活動とタイアップしたトラ保護活動は世界のセレブが応援した。
全さんは言う。「このトラ救済計画ほど世界のメディアがこぞって報道した中国のプロジェクトがほかにあって?」
隣の大国は、プロパガンダとはひと味もふた味も違う洗練された広報外交を展開しはじめている。
巧みな中国の広報戦略
魅力的な人物を“広告塔”にして国家のイメージアップを図る手法は中国ではこれまでもあった。例えば、昨年4月の胡錦濤国家主席の訪米時、ホワイトハウスの歓迎式典にはハリウッド映画「SAYURI」で芸者役を務めた中国人女優、チャン・ツィイーも参加、五星紅旗と星条旗を持ちながらAPのカメラに笑顔を向けた。
中国が禁止する法輪功への支援活動などで結果的にイメージアップ効果は相殺されたが、ハリウッドで人気のオリエンタル・ビューティーで政治に彩りを添える巧みさは中国らしい。
先の戦争中は、蒋介石夫人の宋美齢氏がワシントンで連邦議員を前に熱弁を振るった。流暢(りゅうちょう)な英語と米国の価値観を理解する美しい帰国子女の魅力が米国世論を中国に引きつけた。一方で日本は辛酸を極めた。その伝統を今も見る思いだ。
これを「プロパガンダ」と言ってしまえばそれまでだが、欧米諸国でも、政府が外国の世論に働きかけるかたちで国家の対外イメージを改善する方法は「パブリック・ディプロマシー」(広報外交)として重視されている。民間で活躍する魅力的な文化人やNGO、NPO活動に政府広報がのるのは当然なのだ。
4月に北京の名門大学・清華大学でパブリック・ディプロマシーに関する国際会議「国のイメージと2008年北京五輪」が開かれた。参加した前在中国日本大使館広報文化センター長の井出敬二公使は「中国の広報外交にかける意気込みに驚いた」という。それだけにとどまらない。
対外文化交流の予算は日中間で中身が違うものの、06年の中国の文化体育放送事業支出は前年比24%増の123億元(約1968億円)。これに対し、日本は同6%増の287億円だった。
昨年11月、中国はアフリカ53カ国中、48カ国を招き、北京で中国アフリカ首脳会合を開いた。国家元首か首相が出席したのはうち41カ国。日本はこの会合に出席する首脳に対し、東京まで足を延ばすよう呼びかけたが、応じた大統領は9カ国にとどまった。相手国の人権問題には口を出すことなく、カネや人をつぎ込み、原油などを確保しようという中国の攻勢はさておき、吸引力の差をみせつけたことは否定できない。
日本にも元国連難民高等弁務官の緒方貞子・国際協力機構(JICA)理事長のように国際的に通用する人材はいる。今年のミスユニバースは日本代表の森理世さん。若い世代にも魅力を持つ国際的な人材が育っている。日本が発信するアニメ、ゲームといったソフトパワーはいわずもがなだ。ただ、それらを国家の広報戦略と結びつけるという発想は日本にあまりない。そういう政治性のなさが日本人や日本文化の魅力だが、中国の巧妙といえる広報外交には脅威を感じた方がよいのではないか。
英BBC放送などが昨年11月から今年1月にかけて世界27カ国、2万8000人を対象に実施した「世界に好影響を与えている国」調査によれば、ダルフール虐殺への間接的支援や人権問題、環境汚染や温室効果ガスの垂れ流しなどマイナスイメージの要因を山のように抱える中国がイメージのよい国(42%)として第5位に食い込んだ。
それが中国の広報戦略の結果であるとすれば、同じ調査で日本の国家イメージがカナダと並ぶ第1位(54%)だったことを喜んでもいられない。(福島香織)